先週の続きです。
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【パーソナル健康学】No.728(2017.7.20)
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FROM 川嶋朗
『がん患者として長期生存する医者たち』(菊池憲一著・海拓舎)
というルポタージュの中に、
次のようなエピソードが記されています。
九州で内科医をしていた香川真知子先生は、
1995年の夏。41歳のとき
右の乳房にしこりを発見。
検査をしたところ、炎症性乳がんのスキルスタイプで、
ステージ3bと判明しました。
スキルスタイプのがんは発見されにくく、
しかも進行が早くて転移しやすい、
非常い悪質ながんです。
なお「ステージ」とは、がんの進行度を示す分類方法です。
がんの種類によって違いますが、
基本的には以下のように定義することができます。
ステージ0 がん細胞が上皮細胞(粘膜)内にとどまっている状態。
「上皮内がん」ともいわれ、リンパ節へは転移していません。
ほぼ100%治るといわれています。
ステージ1 がんの腫瘍が小さく、筋肉の層でとどまっている状態。
リンパ節への転移の可能性は低く、治りやすいといえます。
ステージ2 がんの腫瘍がやや大きく、筋肉の層をこえ、少し浸潤している状態。
ややリンパ節に転移している可能性があります。
ステージ3 がんの腫瘍が大きく、周りの組織に浸潤している状態。
リンパ節への転移も見られます。
ステージ4 がんが、最初にできた部位から離れ、遠くの臓器に転移している状態。
各ステージはさらに細かく分けられ、
ステージ3bは、ステージ3よりも進んだ状態を表しています。
香川先生の場合、発見されたときには、
すでにかなりがんが進行していたわけです。
主治医からは「手術をしても2年以内の命」といわれたそうです。
外科手術の前に、先生にはまず、がん細胞のある場所に抗がん剤を注入し
(局所動脈注入療法)、病巣を固めるという治療が行われました。
その間、乳がんに効果がある可能性のある機能性食品を食べたり、
抗がん剤の副作用を緩和するため、民間療法を試したり、
いいと思ったことには積極的に取り組んだ香川先生でしたが、
抗がん剤による治療の結果はかんばしくなく、
右乳房とリンパ節を全摘する手術を受けることになりました。
しかし数日後、手術で摘出いた24個のリンパ節のうち、
17個からがんの転移が見つかりました。
主治医から抗がん剤の大量療法もしくは超大量療法をすすめられた先生は、
ある医学論文を読んで身震いしました。
そこには
「非炎症性乳がんでは、大量療法で5年生存率
(治療を開始して5年間生存している人の割合)50%。
超大量療法では2年生存率90%だが、超大量療法による副作用死10%・・・」
と書かれていたからです。
結局香川先生は大量療法、超大量療法を拒否し、退院しました。
『がん患者として長期生存する医者たち』に、次のようなくだりがあります。
「2年生存率がいくら高くても抗がん剤の大量療法なんて、
私の体ではとても耐えられない。(中略)
無理をして抗がん剤の大量療法を受けても、生存率は50%・・・。
だったら、もう抗がん剤は拒否しよう。機能性食品や民間療法に賭けたほうがいい。
その方がずっと希望が持てる」
その後、1996年の春に、右胸部に腫瘤が見つかりました。
主治医から「抗がん剤の超大量療法か放射線療法を選ぶしかない」
と言われた先生は、
迷った末に放射線療法を選択。
腫瘤は一度は消えたものの、1997年1月、
今度は右鎖骨の上に発見され、先生は
「この乳がんと闘うには、抗がん剤や放射線だけに頼っていては助からない」
と確信したそうです。
投与する抗がん剤の量を増やせば、
確かに効果があらわれる可能性は高くなりますが、
当然のことながら副作用のリスクも高くなります。
香川先生のエピソードにもあったように、特に抗がん剤の大量療法は、
副作用死に至るおそれがありますし、一時的に効いたとしても、
身体への負担が大きく、それによって免疫力が低下してしまっては本末転倒です。
個人個人、年齢、体力、生活環境、人生観、死生観などは様々です。
たとえ複数の医者から「これ以外に方法はありません」と言われても、
抗がん剤の大量投与に踏み切る前に、
西洋医学の最先端医療や代替医療にまで目を向け、
ほかの可能性を探った上で、
できる限り後悔しないような方法を
自分自身で選択すべきではないかと、私は思います。